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 4月より早や5ヶ月が経過した。泉高森教会に赴任してショックを受けたことの一つ。それは長老会のとき,小生が最年長であったこと。今まで奉仕させて頂いた教会で小生が最年長という事態は一度も経験したことはなかった。
 いつも年長者の長老がおられ,若輩の小生を見守り,導き,支えてくださっていた。しかし,小生が最年長という事実にショックを受けた。このことは,泉高森教会は「若い教会」という事実であり,これから成長し,伸びることが可能な教会であるということである。
 これからの牧会において教会の成長,伸展を祈り,励んで行きたいものである。

 4月より,泉高森教会の牧師として招聘された阿部祐治の自己紹介をさせていただきます。
1946年,東京都港区芝白金三光町にあった明治学院宣教師館にて誕生しました。クリスチャンホームの次男坊として成長し,高輪教会教会学校で信仰教育を受けました。
 中学生になる時,家が高輪から横浜に引っ越すことになり,中学,高校時代は横浜の地域を楽しみました。関東学院三春台にて学び,ハイ・Yという高校生YMCA活動に励みました。聖歌隊,全国ハイ・Y活動に参加しました。
 高校から直接東京神学大学に入学します。牟礼校舎の最後,三鷹ICUの隣接地での最初の生活を経験することになります。教会生活は,ハイ・Y時代の友人の父親が牧師であった国立教会へ通うことになりました。
 神学校時代にもYMCA活動に参加しており,神戸YMCAの余島キャンプのキャンプリーダーとして東京・神戸間の往復でした。子供たち,青少年たちとの楽しい思い出がたくさんあります。国立教会での6年間の教会生活で,宮本信之助牧師より説教の大切さを教えられました。また,宮本信之助牧師より宍戸達・好子牧師へと牧師交代を経験し,牧師が替わろうとも,変わることのない教会の姿勢の大切さを身をもって体験させられました。
 また,大学紛争,教会紛争を経験させられ,教会が依って立っていくためには信条,教理が大切であることを教えられ,卒業論文には「ニカイアキリスト論――キリスト教的三位一体論確立の基礎」を提出しました。
 6年間の国立教会の生活を通して富美子姉と出会い,婚約・結婚の式をしていただき,1971年春に大学院を卒業して,岡山の番山町教会伝道師として赴任,3年間奉仕し,金沢教会副牧師,内灘伝道所牧師として8年間奉仕,北陸での牧師仲間の楽しい交わりと勉強会が現在までの支えとなっています。また,金沢時代には,北陸学院の講師として働きました。
 その後,尾張一宮教会牧師として招かれ,2年目には会堂建築の働きをなすことができ,同時に献堂式当時,内灘伝道所の第二種教会設立式が挙行されたのでした。名古屋時代には,金城学院の講師,教区常置委員,書記等々の奉仕をいたしました。12年間の働きの後に,再び番山町教会の牧師として岡山に行きました。青年会・学生会のメンバーが長老として私を迎えてくれました。連合長老会加盟,会堂建築への準備を中心に働くことができました。
 そして両親の介護の事情もあって5年後,自由が丘教会牧師として招かれ18年間働くことができました。長老会の形成,連合長老会・改革長老教会協議会の責任をもって活動に励んできた者です。
 欠けの多い者ですが,何よりも神の助け,キリストの導き,多くの牧師仲間の支え,そして教会員の協力と理解によって働かせていただけることを感謝している者です。よろしく。 

 わたくしが,このエクレシアにおいて文章を記すのも最後となりました。何より,まったく力のない,ふさわしくない者を用いてくださり,ここまで仕えることができたことを神さまに感謝いたします。
 いろいろなことがありました。多くの方々にお言葉をいただき,お励ましの言葉と共に,期待にそえることができなかったことを心からお詫び申し上げます。ただ,ひたすら,心からご容赦願えればと思います。
 最後に,一つだけ,この誌上を通して「提案」させていただければと思います。ここで,牧師は交代しますが,牧師の交代を,一つの機会ととらえていただけると幸いです。それぞれの牧師は,それぞれの賜物をもっています。できることとできないことがあり,できる限り,教会として,牧師の良いところを見つけていただき,そして,教会として,その賜物をいかすという方向で考えていただけると良いのではないかと思います。
みなさまのお支えとお祈りに感謝いたします。 

  現在,教会墓地の建設がすすめられています。仙台広瀬河畔教会が,長老教会という同じ伝統に立つ教会を支えあうということで,河畔教会がもつ北山キリスト教墓地の一画を借り受ける形で建設が進められています。
  幾度かの長老会,委員会,協議会での議論を重ねています。この号が出るころには,どこまで進んでいるのでしょうか。おそらく,さまざまなご意見が出されると思いますし,すべての教会員の方々が満足される建設は難しいかもしれません。願わくは,建設までに至る過程が,神さまの御心の中で,神さまの知恵を与えられることを祈りつつ,神さまの栄光をあらわすものであっていただければと願います。
 

  現在,墓地建設の協議がすすんでいます。教会の営み,また,伝道の邁進ということを考えたときに,実現すべきものの一つではないかと考えられます。おそらく,教会員のみなさんのいろいろなイメージがあると思われます。場合によっては,まったく聞き入れられないということもあるかもしれません。願わくは,教会の墓地が,人間の思いではなく,神さまの栄光をあらわせる,そうした墓地になることを祈ります。


  4月に,九州の熊本と大分で大きな地震がありました。東日本大震災において,多くの祈りと支援の中で歩むことができた教会として,今度は,できうる限りの支援をしていきたいと思います。
 この度の地震の被害の大きさを覚えるとき,改めて,自然の猛威というものを覚えます。個人的には,聖書を通して,東日本大震災とは何だったのかを考える日々ですが,なかなか答えが出せないままでいます。そして,今回の地震を映像で視聴する中で,あらためて,考えさせられます。何より,被災された方々が,主の慰めの中にあることを,心から祈ります。
  

  25周年記念事業がすすめられています。教会の大通りに面した庭に,おおきな看板が設置されました。教区や改長協からの支援が得られ,無事完成しました。以前の看板よりも大きくなり,目立つようになりました。交通量も増えてきましたので,時期的に良かったのではないかと思います。
 また,大きな事業として墓地の建設が検討されています。墓地は,看板よりも予算的に大がかりなものとなり,教会として是非とも建設したいものです。あらためて,この事業のために祈りをあわせ,献げものをささげていきたいと思います。

 
  10月25日(日)に,教会創立25周年記念礼拝を守ることができました。初代牧師である関川瑞恵先生より力強い説教をいただき,教会がこの地に建てられて以来関わられた多くの方々が集い,改めて25年の歴史の流れを感じたときでした。
 これから,また,新しい25年の時を刻みはじめることになります。25年後,同じように喜びにみちた「50周年記念」を開くことができていることを神に祈りつつ,次の世代にきちんと引き継げるように神の国の福音を告げ知らせる業に邁進していければと願います。
 


 昨年は,東日本大震災という厳しい試練を受けることとなりました。多くの人々が亡くなられ,残された人々とも困難な歩みをせざるをえない状況になりました。そうした中でも,一年を通して,4名の受洗者と1名の信仰告白者を与えられ,大きな神の恵みが与えられました。
 こうした恵みを与えられる中で,泉高森教会が,キリストの自己犠牲によって示された愛と,キリストが常にささげ続けた祈りによって交わりをもつ共同体になれればと神に願います。「自分が,自分が」という社会,無関心な社会において,神によってつくられた人間としての共同体のありかたを示すことができれば,人々が集る群れになるのではないかと思います。神の民としての歩みを実現する一年にできればと願います。