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 田植えを終えたばかりの弱々しい苗が,このところ次第に逞しく成長しているのを見,神さまが与えた生命力のすばらしさを実感しています。キリストを頭とした教会も,キリストの体として力強く成長するものでありたいものです。
かつて研修会で,十貫坂教会の中村恵太牧師が,「牧師交替のとき,牧師が替わっても変わることなく御言葉が取り次がれていることを見て安心した」ということをおっしゃっていました。泉高森教会はこの度,3度目の牧師交替を経験しましたが,今までと同じように週ごとの礼拝を大切にし,ここで語られる御言葉を信仰の糧としていきたいと思います。
 今まで牧師館として使っていた2階が,自由に使えるようになりました。少しずつ整備をしています。様々な集会や会合として,有効に活用され,また教会員の交わりや伝道のために用いられるようになればと期待しています。 
      

 3月20日,十貫坂教会で東日本連合長老会の長老・執事研修会及び第4回会議があり出席してきました。早朝東北新幹線で仙台を発ったのですが,人身事故のため1時間半列車に閉じ込められ,十貫坂教会に着いた時にはすでに開会礼拝は終り,講演の途中からの参加となってしまいました。講演は自由が丘教会の阿部祐治牧師により「教会の信仰を表す教会会計」を主題として行われました。内容は私たちの信仰の表れとしての献金について,ローマ12:1から本質的な事柄について学ぶことができ,自らの姿勢を反省させられました。献金は生きた聖なるものとして自分自身を捧げることの表れであり,感謝をもって捧げるべきこと,また,改めて十分の一献金の意義についても教えられました。
 清野先生,この10年間ありがとうございました。


  クリスマスおめでとうございます。主イエスが,わたしたちと同じ肉体をとってこの地上にお生まれになり,苦しみを受け,十字架にかかって死に,復活されたことによって,今私たちは大きな恵みを受けていることを改めて知らされます。キリストが,わたしたちの内に生きて働いてくださるゆえに,今あることをクリスマスの度に思い起こされます。
  今年4月から,金曜の聖書講座に参加させていただいています。箴言,コヘレトの言葉と旧約聖書の知恵文学と呼ばれる個所のていねいな解説を聞き,共に考える機会が与えられています。一人で聖書を読むことも大切ですが,聖書の解き明かしを聞き,お互いに議論していくと,新たな発見があります。最後に,共に祈りを合わせることをしています。主は「二人または三人が私の名によって集まるところには,わたしもその中にいるのである」(マタイ2018)と言われたとおり,主は集まって祈るところに働いてくださると思います。教会におけるその時々の祈りのテーマが,その都度与えられるのでとても祈りやすく感じています。
  毎月1回夜の祈祷会は,長老が奨励をして祈りを捧げています。最近長老だけの祈り会のようになってしまってとても残念に思っています。イエス様が嵐を静めた記事を読んで,主は眠っておられたが信仰においては働いており,弟子たちは舟が水をかぶってあわてふためいて働いていたが,信仰は眠っていたということに気づきました。目覚めた信仰をもって祈り続けたいと思います。
 

 ブラジルのリオで行われたオリンピックが先ほど閉幕しました。時差12時間ということで,スポーツ好きの方の中には観戦のために時差ぼけという人もいたのではないかと思います。日本人の活躍が連日報道されていました。それはそれで素直に嬉しいことでしたが,あまりにも行き過ぎるといろいろな問題が起こるのではないでしょうか。勝ち負けにこだわりすぎず,自国の結果にあまりこだわりすぎず,選手の健闘を称えたら良いと思います。聖書の時代にもスポーツが行われていたのではないかという,それに関連するみ言葉を思い起こしました。Ⅰコリント9:24~には競技場で走るけれども賞を得るのはただ一人,その賞を得るために目標を目指して走り続けることが求められています。そのために必要なことは節制だとも書かれています。オリンピックに出場するような選手は,まさに日ごろから自らに鞭打って練習に励んできたのです。私の信仰生活はそれに比べれば,大分甘いものではないかと思わされます。同じようなことはフィリピ3:14にもあります。Ⅱテモテ2:5には競技に参加する者は規則に従わなければならないとあります。ドーピング違反をするような人は競技を行う資格がないということです。信仰生活にとっての規則とは何だろうかと考えさせられます。イエス・キリストのみ言葉というルールによらなければ栄冠を勝ち取ることができないということでしょうか。4:7にあるように立派に戦い抜いたと言える者になりたいと思います。


  8人の方が長老以外で今年度奉仕に携わってくださる方々です。―もちろんこれ以外の奉仕もありますが。―新年度が始まって2ヶ月が経ちました。教会は多くの方々の奉仕によって支えられ,毎週の礼拝が維持されていることを改めて思います。それぞれの奉仕のために、祈り合っていかなければならないということを思います。


  希望の春は、別れの季節でもあります。今年も,この教会から数名の若者が新しい地へと向かいます。新しい地においても,主に在る信仰生活が守られ,祝された歩みができるようにと祈っています。
  私たちは,毎週の礼拝を信仰生活の中心にすえて大切にしてきました。礼拝は信仰者の義務感から集まるのではなく、主イエスさまが私たちを招いていてくださるから、喜んで集っています。放蕩息子を待ち続ける父親のように、教会の戸口で両手を広げて私たちを迎えるのは、牧師でも長老でもなく、まさに主イエス・キリストであると思います。最近そんなことを感じています。


  10月25日少し肌寒い日曜日でしたが,創立25周年記念礼拝及び感謝会が行われ,会堂は熱気に満ちあふれました。教会は四半世紀を経て,喜ばしいことや悲しいことなど様々な歴史を刻んできましたが,この歩みはすべて神さまのうちにあってなされてきたことを感謝をもって受け止めることができました。記念礼拝では,初代牧師関川瑞恵牧師が説教され,この岩―信仰告白―の上に教会が建てられていることを改めて確信させられ,教会設立にあたって多くの苦労があったことなどに思いを巡らしました。礼拝出席者は51名でした。
 午後の感謝会は,関川夫妻はじめ外部から多くの方々(16名)を迎えて総勢50名で盛大にお祝いをしました。和気藹藹とした雰囲気の中で,多くの方々に祝辞や思い出を語っていただき,時の経つのも忘れるほど楽しいひと時となりました。
  なお,25周年記念事業は,まだ教会墓地建設や記念誌発行という大きな事業が残っています。清野牧師の辞任が決まった今,何とか辞任前まで実現に向かって努力していくつもりですので,今後ともご協力をよろしくお願いいたします。


 奴隷船の船長ジョン・ニュートンは,命の危険に遭遇した時,幼いころ母から伝えられていた信仰に目覚め,回心して多くの讃美歌をつくりました。そのうちとてもよく知られているものに「アメージング・グレース」があります。最近それをCDで聞き,そのオリジナルの歌詞にとても感動を覚えました。以下はその日本語訳(一部拙い私訳)です。
1 驚くべき恵み,甘美な響きよ
私のようにみじめな者が救われたとは。
かつては失われていた が,今は見つけられ かつては盲目であったが,今は見える。
2 私の心に恐れることを教えたのは神の恵み。
そして恐れから解放したのも神の恵み その恵みが現れたのはどんなに尊いことか。
私が最初に信じたその時。
3 多くの危険,苦しみと誘惑を乗り越え 私は今たどり着いた。
ここまで私を無事に導いたのはこの恵み。
だから,恵みが私を家に導いてくれる。
4 主は私に良い事を約束された。
彼の言葉は私の希望の保障。
彼は私の盾と分け前となられる。 私の命が続く限り。
5 そうです。この体と心が消え去り
私の死ぬべき命が終わる時
死出の衣に包まれる時にも 喜びと平和の命を持つのです。
6 地上はまもなく雪のように溶け去り
太陽は光を失います。
しかし,私を御許に召してくださった神は 永遠に私のものになるのです。